はじめまして。
CHANCE(チャンス)
CHALLENGE(チャレンジ)
CHANGE!(チェンジ)
お子さんの未来を創る
3C子育てカウンセラーの
倉橋優子 です。
不登校、学業不振、発達障がいのお子さんをもつお母さんへ
カウンセリングが成功するためには、あなたと私の相性がとても大切です。
ですから、ここで、私のこと、そして、「3C」のこと お知らせしますね。
幼少期~学生時代 人のためになる教職を志す
・1963年生まれの「道産子」です。今はずいぶんと珍しくなりましたが、2世帯の7人家族(父の両親、父母、姉・私・弟)です。
・高校で希望の職業を聞かれたときに答えたのが「学校の先生!」学校が大好きだったことと、『人のためになる仕事』に就きたかったです。
・小さいころから、つたない私の話にも一生懸命聞いてくれるおじいちゃんやおばあちゃんの生き方に影響されたのかなあと思っています。
・短大にも無事合格、養護教諭の免許を取りました。
晴れて養護教諭に! 不登校”あゆみ”(仮名)との出会い
・養護教諭は5年間やっていました。高校の保健室には、様々な悩みを抱えた生徒がきます。
・その中でも”あゆみ”のことは今でも忘れることができません。
・あゆみは、今思うと「愛着障がい」だったと思います。小さいころ(特に3才くらいまで)、両親は仕事が忙しくて、あゆみに愛情をかけることが出来なかったそうです。高校から下宿を始めたのですが、徐々に周囲と上手にかかわることができなくなっていきました。
・「これがきっかけです」というのは見当たらず、本人もつらかったと思うのですが、どんどん学校に来られなくなりました。
・私は、あゆみの部活動の顧問もしていました。何となく私には心を開いてくれていたので、話し相手にはなっていました。
私だけは「あゆみのそばにいる」と決意!
・あゆみの話、今から40年近く前になるのですが、当時は「不登校」という言葉ではなくて「登校拒否」という言葉が使われていました。「登校」することが当たり前の時代です。学校にそういう子がいること自体「恥ずかしい」ことでした。
・学校に来ることができないのは「子供に非がある」という理屈がまかり通っています。
・特に、高校はあゆみのような学校に来ない子は相手にしません。義務教育ではないこともあり「登校拒否の子には関わりたくない、関わる必要がない、退学しても仕方ない」という空気が流れます。
・私は、「おかしい」と思いました。あゆみの未来を考えた時に、見捨てるようなまねはできませんでした。若さもありましたが、放っておけません。
・そこで必死になって「保健室登校」は認めてもらいました。「私だけでもあゆみのそばにいよう」と決めました。
保健室に来たり来なかったりのあゆみ
・「保健室登校」は認められても、来る日もあれば、(当たり前なのですが)来ない日もあります。保健室に来た日も、私と話はできるのですが、教室には行けません。
・当時は、あゆみが休んだ日。担任を差し置いて自分からあゆみに連絡することは難しかったです。
私ができることは
・何とかしたいという思いから「子育て」「発達」「思春期の子どもの心」…こんなタイトルでのお医者さんの講演があると聞くと、行けるものは片端から行きました。
・お医者さんではありませんが、「夜回り先生」の講演会にも行きました。
・「夜回り先生」は、夜の繁華街をうろつくような不良たちなど、学校や家庭に居場所のない高校生にも手を差し伸べる先生です。ほかの大人があきらめてしまいそうな人にも手を差し伸べる先生です。
・私も気持ちは同じでした。私もあゆみを見捨てたくありませんでした。
・この話を聴いた後は、より一層「私なんかより苦しんでいるのはあゆみなんだ」といつも言い聞かせ、あゆみの心の声を聴くことに集中しました。
卒業の日、うれしかった!
・単位もぎりぎりでしたが、なんとか卒業の日を迎えることができました。
・卒業証書をもらったときの、はにかみながらも微笑んだあの子の顔は今でも忘れません。
でも、同時に残った無力感
・とっても嬉しかったはずなのですが・・・なぜか、無力感も残りました。
・声は聞いてあげたけど
・「もっと、あゆみのためにできたことがあったのではないか?」
・「自分が担任としてかかわることが出来れば、もっと何かできたのではないか?」
・ただ寄り添うだけの高校の養護教諭に出来ることの限界を知りました。
・そして、幼少期の子どものかかわりの大切さも学びました。
私は小学校の担任の先生になる!
・「もっと小さい子どもたちと関わる必要がある!」「担任の先生になろう!」という思いから、小学校の先生になることを決意しました。
・小学校教員免許は養護教諭の仕事をしながらとりました。
・勉強は辛かったですが、担任として子供と向き合うことへの期待の方が大きかったです。
初めての小学生の担任
そこで出会った
不登校”たかし”(仮名)
・小学校教員2年目で念願の担任(3年生)になりました。その時出会ったのが”たかし”でした。
・たかしは、幼稚園の頃から登園できていませんでした。もちろん、小学校では一度も学校には来ていませんでした。
まだまだ「不登校」への理解がたりなかった時代
・ただ、ここでも、高校と同じ悩みに出会います。高校の先生よりは少し良かったのですが、まだまだ不登校児童が少ない時代。
・「登校拒否」と呼ばれた時代。
・同僚の先生たちの不登校への認識の甘さにあきれ返りました。
お母さんのつらさ
・私が、毎日行ったのは「家庭訪問」です。
・最初は、子どもとはなかなか会えないので、お母さんとおしゃべり。
・その中でお母さんが口癖のように言っていたのが
・「なぜ、私の子だけが学校にいけないの?」
・学校に行くのが当たり前の時代に、お母さんは本当につらかったと思います。
心理療法との出会い
・この頃の私は、たかしはもちろん、お母さんを元気づけたくて、ずいぶんと本を読みました。
・その中で、このたかしにピーンときたのが「箱庭療法」。アポ無しでこの心理療法の先生に直接電話もしました。たかしにも保護者にも、この心理療法の先生に会いに行ってもらいました。
・「心理療法」を意識したのがこの時でした。
・私にとって良かったことは、相談者ができたこと。専門家からのアドバイスを参考に、たかしへの関わりに見通しがもつことができました。
・お母さんにとって良かったことは、お父さんが関わるようになってくれたこと。子どもの様子に理解を示してくれなかったお父さんも、この先生に会いに行ってくれました。お母さんは心強かったと思います。
「登校」できました!
・たかしはもちろん、お父さんとお母さんとの信頼関係を築き、
・やっとの思いで登校へつなげ
・少しずつ教室に近づいて…
・教室でも授業受けられるようになって…
・1年後には、運動会にも参加して…
不登校へ逆戻り
・でも、私から担任が変わることで、不登校に逆戻り!
・「継続して支えることはできないのかなあ」と考えるようになりました。
結婚、子育てのために退職
・ここで知り合った夫と結婚を機に退職しました。
・なぜって、子育てにしっかりと向き合いたかったというのもあったのですが、両立は難しいなあと考えたからです。
・きっと教員を続けていると、教員の仕事に自分がのめり込んでいくのが分かっていました。
・わが子の幼少期には、自分がそばに居てあげたいと思っていました。
子どもはいつになっても子ども
・3人の子どもに恵まれました。おかげさまで今では3人とも就職していますが、子どもはいつになっても子どもで心配は尽きません。やっぱり、子どもに何かあると母親はいろいろ考えてしまいます。
・ただ、私にとってラッキーだったのは、子育て期間中に姉夫婦がそばにいたことです。子供が小さい頃は、夫が忙しくて遅く帰ってくる日も多かったのですが、助けられました。
大好きな先生に復職
・夫の転勤。そして、一番下の子どもが年少になることもあり、復職することにしました。
・「子育て」の経験を生かして、もっともっとお母さんや子どもに寄り添いたいと思いました。
・中学校の心の相談員や中学校の養護教諭、小学校の通常学級や特別支援学級の担任。ある時期は、子ども発達支援センターでも働いていました。結果、0歳~18歳までの子どもに携わることができたのは今となってはよい経験ですね。
不登校 学業不振 発達障がい
今は周囲の理解は進んでいますが
・あゆみが「登校拒否」から30年以上。今は「登校拒否」という人は少なくなってはいますが、やっぱり気持ちが安らぐことは少ないと思います。
・「登校させることが目的」というのも変わってきていますね。でも、お母さんの悩み・不安は変わらないと思います。
・「発達障がい」のお子さんは増えました。
・社会の理解も進み「特別」なことではではなくなってきていますが、特別支援学級や特別支援学校に通うお子さんをもつお母さん、そしてお子さんの不安・悩みは尽きないはずです。
・「学業不振」も原因は多岐にわたります。右往左往するお母さんも多いと思います。
・でも、解決の道はあります。
私がカウンセラーを目指す決め手となったのはお母さんの声
・人生100年の時代。改めて、自分に何ができるか問い直してみました。
・その時に、あゆみ、たかし…いろいろな子どもの顔が浮かびました。
・そして、耳に残っているお母さんの声!
「先生、毎日が本当に大変なんです!」
「先生、こんなこと相談するって、変な親って思われちゃうのかな?」
「先生、先生って本当にうちの子のことわかってくれています?」
「先生、ママ友に相談しても、なかなか分かってもらえません。アドバイスもピンときません。」
「先生、だんなに相談したくても…」
「先生、ママ友には『それって、育て方の問題じゃないの?』って言われるのですが…」
「先生、先生たちにはきっとわかってもらえないです。だって、そんな苦労していませんよね。」
「先生、〇〇ちゃんはできるのに、うちの子はどうしてこんなにできないの?」
「先生、聞いてくれる人はいるんですが、じゃあ一体私はこの後何をしたらいいの?」
時にはこんな声も
「先生、
あの、・・・・・ 。」
・一人で悩んでいる人って本当に多いんです。お母さんが困っているということは、お子さんも困っています。私も考えるだけで苦しくなります。
同じ母親として思うこと
・私にも覚えがあります。
・お母さんは子どもの一挙手一投足に心を動かします。
・初めて抱いた時から、にこっと微笑んでくれた時、寝返りを打った時…
・少しでも鼻水が出ている時、あんまりご飯を食べない時…変なことばかり考えてしまいます。
・ましてや、子どもに「学校に行きたくない…」と言われたり、「ちょっと違うのかも、うちの子は…」と思ったりした時の気持ちは、いたたまれないと思います。
私の今の決意は子どもの未来を創ること
・そこで、
『自分の今までの経験、何かにいかすことできないかな』『自分の経験をいかして、人の役に立てたらうれしいな』『一人でも多くの子育てしているお母さんや子どもたちを幸せにしたいな♡』
・そして、
『今までの私の人生が必然であるのならば、私にできることってきっとある』
『未来を描けないお母さんもお子さんも、私だからきっと未来を創れる』
・改めて、自分自身が新たな一歩を踏み出そうとした時に、
心理療法について学び直し、過去の教員、そして、子育ての経験をもとに「3C」というカウンセリング方法を編み出しました。
効果抜群!心が劇的に変化
・それが
チャレンジの土台をつくるワーク
チャレンジに向かって不安を解消し自信を取り戻すワーク
ストレスを手放すワーク
対人関係をよりよくするワーク
笑顔が自然と広がりチェンジするワーク
・・・
そして、
何と言ったって、
子どもが勉強に困っているのなら、私は放っておけません。
こどもの「わからない」を少しでもなくしたいです。
教員のスキルを活かして
勉強のことも力になれます。
お子さんの
本当の良さを見つけましょう!
・一人一人の子どもに良さがあります。
みなさんに伝えたいこと
・それは子育てにもカウンセリングにも遅いってことはないということ。
・気づいた時から初めて大丈夫です。
私のカウンセリングは
教員スキル
×子育てマインド
×心理カウンセラーメソッドで、
お母さんとお子さんにぴったりのチャレンジを提案します。
未来を創る子育3C
お母さんの声、お子さんの心の声、
大切にします!
一人一人に寄り添って
CHANCE(チャンス)
今は苦しい時間だと思うけど、お子さんのために行動している姿、素敵です。
よく言うでしょう…
「ピンチはチャンス!」って。
CHALLENGE(チャレンジ)
変わっていくための具体的な行動のお手伝いをします。
一人でのチャレンジは本当に難しいです。でも、私が応援します。
CHANGE(チェンジ)
ここからの一歩で、お母さんの、お子さんの、家族の未来は変わります。
不登校、学業不振、発達障がいのお子さんをもつお母さんへ
お母さんの安心と
お子さんの自信を取り戻す
具体的な方法を教えます!
まず、お話するところから始めませんか?
初めての方も大歓迎です🔰
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